曲目解説【6/8 鈴木愛美ピアノ・リサイタル】 第24回別府アルゲリッチ音楽祭

W. A. モーツァルト:
幻想曲 ハ短調 K. 475
ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K. 457

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)が初めて自分のピアノを持ったのは1782年か83年、ウィーンでのことだった。楽器は1781年ころにA・ヴァルター(1752〜1826)が作ったもの。この楽器はウィーンのモーツァルトの家から何度となく持ち出され、演奏会で大活躍した。このピアノとの出会いが、モーツァルトの創作に大きな影響を与える。
 ヴァルターの楽器に出会う前、モーツァルトの心をとらえていたのは、J・A・シュタイン(1728〜92)のピアノだった。1777年にアウクスブルクで出会ったシュタイン・ピアノは、乱暴に打鍵するとハンマーがバウンドして弦を2度、打ってしまう。演奏者はそれを防ぐため、繊細な手つきで鍵盤を操らなければならない。その結果、軽やかで歯切れの良い音が、楽器から流れ出ることになる。
 一方、ヴァルターの楽器は、歯切れの良さよりは口跡の柔らかさ、屈託のない明るさよりは少しくすんだ暗さ、繊細さよりは大胆さを目指す。こうした楽器を手にしたことによりモーツァルトは、作品にもヴァルター・ピアノの特性を反映させていく。
 幻想曲ハ短調KV475(1785年)とピアノ・ソナタ ハ短調KV457(1784年)とは、作曲時期こそ少し違うが、最終的には両曲で一体のものとして構想された。「幻想曲」なるジャンルは、独立した楽曲というよりも、即興的に演奏される導入曲の性格を持っている。このハ短調もまた、そのように意図された。主題の重苦しさ、繰り返される転調、穏やかな長調との対比、フォルテとアレグロとによる激情、舞曲の優美さ、再び訪れる翳り。こうした明確なコントラストは、ヴァルター・ピアノの持つ性格、つまりレガートに適した柔らかい発音、悲劇性を帯びたダークな音色、強弱の幅の広さを念頭に置いて導き出された表現だろう。
 音の消え去る速さも重要な要素だ。幻想曲の冒頭音はフォルテ、ふたつめの音はピアノ。最初の強音が弱音まで減衰するのを待って、二番めの音を弾く。この消え去っていく音のニュアンスが、幻想曲の冒頭に求められているのだ。こうしたニュアンスは、当時のピアノの減衰速度をもとに計算されている(たとえば、ベートヴェンの《悲愴ソナタ》冒頭なども同様である)。このようにモーツァルトの鍵盤楽曲は、その時々のピアノの特性と補い合う関係を保つ。こうした「補い合いのアート」をモダン・ピアノで表現していく点に、現代のピアニストの腕の見せどころがある。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)が初めて自分のピアノを持ったのは1782年か83年、ウィーンでのことだった。楽器は1781年ころにA・ヴァルター(1752〜1826)が作ったもの。この楽器はウィーンのモーツァルトの家から何度となく持ち出され、演奏会で大活躍した。このピアノとの出会いが、モーツァルトの創作に大きな影響を与える。

 ヴァルターの楽器に出会う前、モーツァルトの心をとらえていたのは、J・A・シュタイン(1728〜92)のピアノだった。1777年にアウクスブルクで出会ったシュタイン・ピアノは、乱暴に打鍵するとハンマーがバウンドして弦を2度、打ってしまう。演奏者はそれを防ぐため、繊細な手つきで鍵盤を操らなければならない。その結果、軽やかで歯切れの良い音が、楽器から流れ出ることになる。 一方、ヴァルターの楽器は、歯切れの良さよりは口跡の柔らかさ、屈託のない明るさよりは少しくすんだ暗さ、繊細さよりは大胆さを目指す。こうした楽器を手にしたことによりモーツァルトは、作品にもヴァルター・ピアノの特性を反映させていく。 幻想曲ハ短調KV475(1785年)とピアノ・ソナタ ハ短調KV457(1784年)とは、作曲時期こそ少し違うが、最終的には両曲で一体のものとして構想された。「幻想曲」なるジャンルは、独立した楽曲というよりも、即興的に演奏される導入曲の性格を持っている。このハ短調もまた、そのように意図された。主題の重苦しさ、繰り返される転調、穏やかな長調との対比、フォルテとアレグロとによる激情、舞曲の優美さ、再び訪れる翳り。こうした明確なコントラストは、ヴァルター・ピアノの持つ性格、つまりレガートに適した柔らかい発音、悲劇性を帯びたダークな音色、強弱の幅の広さを念頭に置いて導き出された表現だろう。 音の消え去る速さも重要な要素だ。幻想曲の冒頭音はフォルテ、ふたつめの音はピアノ。最初の強音が弱音まで減衰するのを待って、二番めの音を弾く。この消え去っていく音のニュアンスが、幻想曲の冒頭に求められているのだ。こうしたニュアンスは、当時のピアノの減衰速度をもとに計算されている(たとえば、ベートヴェンの《悲愴ソナタ》冒頭なども同様である)。このようにモーツァルトの鍵盤楽曲は、その時々のピアノの特性と補い合う関係を保つ。こうした「補い合いのアート」をモダン・ピアノで表現していく点に、現代のピアニストの腕の見せどころがある。

F. シューベルト:《4つの即興曲》D899より 第1番 ハ短調 op. 90-1

 フランツ・シューベルト(1797〜1828)にとってピアノ独奏曲の作曲と出版は、“一流の作曲家”を目指すにあたり、必要不可欠なことがらのひとつだった。家庭での演奏会や学校での部活動の中から始まった弦楽四重奏や交響曲の作曲に対して、ピアノ独奏曲の制作は当初から、プロフェッショナルな色合いが強い。
 とりわけ、ピアノ・ソナタは重要だ。シューベルトがこれに取り組んだのは1815年になってから。以後、1曲完成させたと思えば、次は未完のまま残したりと、その取り組みは一進一退だった。結局、独奏ソナタを完成させ、且つ同時に出版できたのは1825年から26年にかけて、イ短調D854 op.42が初めてだ。これによりシューベルトは、名実ともにピアノ曲作家として独り立ちを果たす。
 翌1827年、まさに“一流作曲家のピアノ作品”として出版されたのが、《4つの即興曲》D899 op.90(の前半2曲)である。そして、これが生前最後のピアノ曲の刊行となった。
 第1曲には輝度差を抑えた3つの主題が現れる。それらが意表をついたかたちで再登場したのち、長短調のせめぎ合う結尾部へ。長調へ移旋するも、終わる直前まで長短調を両にらみしながら進む。最後の4小節でハ長調に落ち着いて曲を閉じる。

L. v. ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op. 111

 ピアノ独奏曲を書いてこそ一流の作曲家、とシューベルトが思い定めたのは、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)がこの分野に健筆を振るったからに他ならない。実際は「健筆を振るった」どころの騒ぎではない。金字塔を打ち立てたと言ってよい。その金字塔の頂点にあるのが、ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op. 111である。
 第32番は、ベートーヴェンがおよそ40年に渡って取り組んだピアノ・ソナタの、最後の作品だ。1821年に大部分を作曲し、翌22年初春に完成させた。この作曲家の晩年の特徴的語法と言えばフーガと変奏曲。第32番ではその両方を使っている。
 楽章は2つ。第1楽章ではソナタ形式とフーガを統合する(かつてモーツァルトも交響曲《ジュピター》の終楽章でそれを試みた)。第2楽章では主題を提示したのち、5つの変奏でそれを受け継いでいく(ただし、変奏とは関係のない推移部や終結句を含む自由な構成をとる)。ハ短調の前半楽章からハ長調の後半楽章にいたる構成は、交響曲第5番や第9番に見られる「苦難を通して星へ(ペル・アスペラ・アド・アストラ)」という理念に通じている。

文:澤谷夏樹