曲目解説【7/17 上野耕平サクソフォン・リサイタル】 第23回別府アルゲリッチ音楽祭

J. マスネ:〈タイスの瞑想曲〉

 ジュール・マスネ(1842-1912)はフランス・モントーに生まれ、おもにパリで生涯を送った。上質な作品を数多く書いたオペラ作曲家で、パリ音楽院の作曲科教授としても活躍した。
 オペラ〈タイス〉(1894年)は音楽院教授時代の作品だ。台本はルイ・ギャレで、アナトール・フランスの小説『舞姫タイス』を原作としている。舞台はエジプト。キリスト教の修道士アタナエルが、高級娼婦で異教の信者であるタイスを改宗させようと試みる。しかし、アタナエルは宗教的使命感ではなく、タイスに対する劣情によって彼女に改宗を迫っていることにみずから気づく。一方、オペラはタイスの心根の純真さを強調する。こうして両者の間にある、職掌と聖潔とのねじれが明らかになる。
 「瞑想曲」は、このオペラの第2幕第1場と第2場とをつなぐ、ヴァイオリンと管弦楽による間奏曲だ。タイスが改心してキリスト教信仰の道に入る場面を彩る。「神に向かう心」に「瞑想」のタイトルをあてたのだろう。中間部ではタイスの揺れる気持ちをハーモニーの変化が縁取っていく。

J. フランセ:〈5つのエキゾチック・ダンス〉

 フランスの作曲家ジャン・フランセ(1912〜97)は音楽家一家に生まれ、早くからその才能を発揮した。作曲家としてデビューした直後の1930年代から60年代にかけて、フランセはサクソフォンの作品に集中して取り組んだ。1961年に書いた〈5つのエキゾチック・ダンス〉も、その“集中期”の1作である。作品は5曲のダンス・ミュージックからなる。
 第1曲「パンビチェ」 カリブ海の島国ドミニカ発祥のダンス・ミュージックで、シンコペーションを含むリズム(シンキージョ)が特徴的。
 第2曲「バイヨン」 ブラジル北東部バイア州発祥のダンス・ミュージック。同国発祥のサンバやボサノヴァなどの都会的なスタイルに対して、地方色を残した音楽とされる。
 第3曲「マンボ」 1938年の楽曲〈マンボ〉から広まった音楽。ルンバにジャズの要素を加えたスタイルは、キューバでもてはやされた。1950年代にアメリカから世界中に広まった。
 第4曲「サンバ・レンタ」 サンバはブラジルの港町バイーア(現サルバドール)で生まれたとされる。奴隷として連れてこられたアフリカ人の音楽を源流とする。そこにヨーロッパ由来の舞曲がブレンドされた。
 第5曲「メレンゲ」 ドミニカ、またはベネズエラ発祥の大衆音楽。拍節は単純な2拍子だが、間断なく続くシンコペーションが、一様でないリズムを作り、音楽の魅力となっている。

C. ドビュッシー:〈ラプソディー〉

 パリに住むアメリカ人で、アマチュア・サクソフォン奏者のエリーズ・ホールは、病気、とりわけ難聴のリハビリとして楽器演奏を始めたが、やがてその魅力にのめり込んでいく。しばらくしてホールはその資金力を活かし、名だたる作曲家にサクソンフォンのための作品を委嘱するようになる。そのうち、後年もっとも有名になったのが、クロード・ドビュッシー(1862〜1918)の〈ラプソディー〉だ。
 作曲家は1901年から08年にかけてこの曲の草稿づくりに取り組んだ。11年にサクソフォンとピアノのための室内楽曲としてこれを完成させる。ドビュッシーはこの総譜を注文主であるホールに送った。依頼から11年が経っていた。作曲家の死後にあたる1919年、作曲家のジャン・ロジェ=デュカスが、サクソフォンと管弦楽のために同曲を編曲し出版したことで、作品は日の目を見ることとなる。初演は同年5月14日。ちなみに、このときすでに失聴していたホールは、初演の独奏者を務めることができなかった。
 曲は単一楽章で、緩急の利いた各部分からなる。伴奏声部は複雑な響きを作ったり、リズム上の変化を繊細に綴る一方、独奏声部はどの場面でも比較的、穏当に音楽を進める。随所にドビュッシーらしい精緻な響きづくりを聴くことができる。

F. ドゥクリュク:ソナタ 嬰ハ調

 フランスのオルガン奏者で作曲家のフェルナンド・ドゥクリュク(1896〜1954)は、夫のモーリスがサクソフォン奏者だったこともあり、1930年代前半からさかんに、この楽器のために曲を書くようになった。なかでも、1943年に作曲したソナタ 嬰ハ調はよく知られた作品である。
 ドゥクリュクは1937年から、母校であるトゥールーズ音楽院で音楽理論のクラスを担当したが、42年にその職を辞し、作曲に専念するようになった。ソナタ 嬰ハ調はまさに、彼女が専業作曲家としてキャリアをスタートさせたころに書き上げた曲だ。
 作品は4つの楽章からなるが、切れ目なく演奏される。
 第1楽章 短い序奏付きのソナタ形式。ドゥクリュクには従来の形式とらわれないドビュッシー風の作品もあるが、このソナタでは古典的な形式をきちんとトレースしている。
 第2楽章 「ノエル」と題された緩徐楽章。「ノエル」とはフランス語でクリスマスを指す。古いキャロル〈とおい空のかなたから〉(讃美歌第II篇 第215番)を下敷きとする。
 第3楽章 「糸を紡ぐ女」。サクソフォンの転がるような六連符が、糸車の回る様子を表している。シューベルトの〈糸を紡ぐグレートヒェン〉にも登場する、伝統的な音画技法。
 第4楽章 「ノクテュルヌとロンデル」。夜想曲と変形ロンドの2部分からなる。

長生淳:アルトサクソフォンとピアノのための〈天国の月〉

 長生淳(1964〜)は管弦楽曲から無伴奏曲、合唱曲から独唱曲までを幅広く手掛ける作曲家。武満徹作曲賞第1位を2000年に獲得するなど、その手腕はかねて高く評価されている。また、吹奏楽のジャンルに作品が多いことも特徴で、いまのところ同ジャンルに5つの交響曲を書いている。100曲近い室内楽の多くは管楽器のための作品で、なかでもサクソフォンのための曲が目立つ。
 長生は、1995年にサクソフォン奏者・須川展也の委嘱によって〈天国の月〉を作曲し、同年5月8日にサントリーホールで初演した。
 第1部はサクソフォンの独奏で始まる。ピアノが同音の連打で応じると、どこか日本的な響きで曲が進み出す。やがて、サクソフォンとピアノが断片的なモティーフをやりとりし出す。両者の音楽がじょじょに熱を帯びていき、いくぶんか叙情的に旋律を奏でた後、熱を取り戻す。その熱をさまして第1部を終える。
 第2部は素早いピアノのパッセージで音楽が駆動し始める。サクソフォンもそのスピード感に呼応する。同じリズムを執拗に繰り返すピアノに対して、サクソフォンがじょじょに緊張感を高めていく。それはいったん緩和するが、すぐに冒頭同様のスピード感が戻る。
動きを同期したサクソフォンとピアノが最後に大きく盛り上がり、曲を終える。

武満徹:〈小さな空〉

 武満徹(1930〜96)は、映画や放送のためのいわゆる劇伴音楽やポピュラー・ミュージックと、生涯に渡り関わりを持ち続けた。作曲家は1962年、連続ラジオ・ドラマ『ガン・キング』の主題歌として〈小さな空〉を作詞・作曲する。
 武満は1994年、〈小さな空〉を含む自作の歌(1954〜94年)を集め、20曲からなる歌集『SONGS』を編んだ。いずれの曲にもピアノ伴奏譜とギター用コードネームを付けている。作曲家は並行して歌の録音も進めた。その成果が、1995年に発表したCD『石川セリ / 翼 武満徹ポップ・ソングス』である。それに先立つ1992年に、歌のいくつかを合唱曲へと自ら編曲した武満だったが、CD化に際しては、ポピュラー・ミュージックの分野で経験を積んだ作曲家に、その編曲を任せている。
 作曲家はCDの完成披露会見で、商業音楽が「なぜか、似たりよったりのものばかり」であると言い、「与えられた材料の中で、いかに上手にマニュピュレート(操作)するか」ということが主目的となり、「音楽にとって最も大事な自発的に歌い出す・聴き出すという能動性を忘れている」と現状を批判した。
 CDのライナーノーツには「私にとってこうした営為は、『自由』への査証を得るためのもの」と書いた武満。〈小さな空〉にも、作曲家の「自由」への渇望が生きている。
 

逢坂裕:ソプラノサクソフォンとピアノのための〈ソナタ エクスタシス〉

 〈ソナタ エクスタシス〉は、逢坂裕が、東京藝術大学音楽学部の同学年で、寮で寝食を共にした上野耕平のために書いた作品である。
 逢坂は異色の経歴をもつ作曲家だ。音楽を書き始めたのは高校3年生のときだが、作曲家を志したのは27歳のころ。その間は職に就き、サラリーマンやフリーターとして働いていた。30歳を意識し出したことで一念発起、東京藝術大学の作曲科を受験し合格する。東京での住まいは大学の大泉寮。そこにいたのが同学年の上野耕平だった。
 〈ソナタ エクスタシス〉の作曲は2016年。学部を卒業してすぐの作品だ。「エクスタシス」とは、相手と自分の境が曖昧になるような恍惚状態を指す。いわゆるトランスのことであり、音楽やダンス、宗教儀式などでその境地にいたることが多い。
 冒頭から高いヴォルテージでスタートする。サクソフォンもピアノも粒だった細かい音符が印象的。情緒がいったん落ち着くと、両声部とも横方向への意識が強くなり、流れるような楽想に。サクソフォンの上行音階を合図に改めて緊張感が高まるが、やがてその糸も緩む。そこから独奏の素早いパッセージが登場し、ピアノが同調して冒頭のヴォルテージを取り戻す。

文:澤谷夏樹