曲目解説【6/11 坂口由侑ピアノ・リサイタル】 第23回別府アルゲリッチ音楽祭

J. ブラームス:〈4つの小品〉作品119
J. ブラームス:ピアノ・ソナタ 第1番 ハ長調 作品1

 ヨハネス・ブラームス(1833〜97)がピアノ・ソナタに取り組み始めたのは1852年4月のことだった。まず第1番の第2楽章に着手し、それをいったん中断して第2番に取り掛かり、11月に完成させる。その後、第1番の作曲に戻り、1853年の初夏までにこれを書き上げた。
 ピアノ・ソナタ第1番(と第2番)には、その後のブラームスの創作を占う要素が詰まっている。民謡を作品に取り入れることもそのひとつだ。第1番の第2楽章には、ブラームスの言葉によれば「古いドイツのミンネリートによる」メロディーが登場する。作曲家はこれを、クレッチュマーとツッカルマリオの編纂した『ドイツ民謡集』から採った。ブラームスが以後、創作に民俗音楽を活用していくのはよく知られている。
 シューマンは評論「新しい道」に、「(ブラームスは)ピアノをオーケストラのように弾きこなした。作品はソナタに変装した交響曲のようだ」と書いた。「ソナタに変装した交響曲」とは言い得て妙である。ピアノ・ソナタ第1番(と第2番)は声部の重ね合いの点でも、その重ね合いの変化が作り出す段落感の点でも、それら段落が構築する大形式の点でも、シンフォニーに比肩する内実を持っている。

 1890年ごろ、ブラームスの孤独感を深める事柄が相次いだ。家族や友人の死、知人との仲違い、尊敬する政治家の引退などだ。こうしたできごとが彼の心の奥に深く食い込む。人生と創作の黄昏を強く実感したブラームスは1891年、遺書を書いた。時を同じくして身辺整理にも取り掛かる。財産はもちろんのこと、草稿やスケッチなどの処分も始めた。
 こうした伝記的な事実を経て作曲家は、世をはかなむような気分で作品を満たすようになる。1890年の弦楽五重奏曲第2番はそのひとつ。この曲の厭世的な雰囲気や、立体的な音響バランスを煮詰めてできあがったのが、4つの「ピアノ小品集」だ。そうしたピアノ小品集群の最後を飾るのが、〈4つの小品〉作品119(遅くとも1893年)である。ブラームスがピアノ作品に取り組むのは、1879年の〈2つのラプソディ〉(作品79)以来のことだ。
 作曲家は〈4つの小品〉作品119(と〈6つの小品〉作品118)を、クララ・シューマンに献呈した。ロベルトの交響曲第4番を出版するにあたり、クララとブラームスとの間に行き違いが生じた。ブラームスはこの亀裂を心に病み、献呈を通じて信頼関係の修復を図る。クララは献呈への返信に「最新のピアノ小曲集に免じて、私たちの友情を元の鞘に収めましょう」としたためた。こうしてブラームスは、自身にとってもっとも重要な人間関係を保持することに成功した。

F. リスト: グノーのオペラ〈ファウスト〉のワルツ S. 407/R. 166
F. リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調 S. 178/R. 21

 フランツ・リスト(1811〜86)は、ピアノが市民社会に普及していく、まさにその時代を生きた演奏家であり作曲家だった。ピアノは当時、今で言うオーディオ機器の役割も果たしていた。管弦楽曲やアンサンブル曲も、ピアノ用の編曲楽譜さえあれば、たったひとりの奏者によって再生できる。19世紀の音楽文化の一断面だ。
 この時代を生きた作曲家は、上記のような編曲作品をさかんに書いた。リストもそのひとりである。ベートーヴェンの交響曲、シューベルトの歌曲、ワーグナーの序曲など、多彩な作品が残る。 グノーのオペラ〈ファウスト〉のワルツもまた、こうした文脈の中から生まれた1曲だ。
 人気のあるオペラのアリアや重唱、序曲や間奏曲を抜き出し、ピアノ編曲することは広くおこなわれていた。いわば「サウンドトラック」である。グノーのオペラ〈ファウスト〉も当時、もてはやされた演目で、とりわけ第2幕のワルツはたいへん有名だった。リストはそこに目をつけ、1861年に編曲を終え、翌年には楽譜を出版している(当然、こういう楽譜〔=オーディオ・ソフト〕はよく売れたはずである)。
 
 リストと言えば、交響詩をはじめとした標題音楽に長じた作曲家という印象が強い。ピアノ曲もその思潮に乗る作品が多い。それだけに、標題を持たない(いわゆる絶対音楽である)ピアノ・ソナタ ロ短調(1853年完成)は、リストの作品の中で特別な光を放っている。この曲は、ひとつにはソナタ形式の伝統への挑戦、もうひとつには自分の音楽活動を批判する勢力への当て付け(ご覧の通り絶対音楽もかけるぞ、という示威行動)の役割も担っていた。
 楽曲構成はきわめて興味深い。大ソナタ形式の中に小ソナタ形式を含む、自己言及的な形をとる。曲は切れ目なく演奏されるが、内容は4部に分かれている。第1部は作品全体の(大)呈示部に当たる。一方で第1部は、その中に(小)呈示部・展開部・再現部を含む。第2部は緩徐楽章、第3部はフーガ風のスケルツォ、第4部はフィナーレであり全体の(大)再現部ともなっている。
 作品全体がソナタ形式を模すということは、その全体がいくつかの主題とその変形とで統合されている、と言い換えることができる。その点からするとこの作品は、循環形式(鍵となる音形をすべての楽章で利用する形式)を採用していると考えてもよさそうだ。
 その全体的な主題呈示と変形は、すでに第1部の(小)ソナタ形式の中に雛形として示されている。ミクロな細胞とマクロな臓器とが互いに密接に機能し合うように、この曲の自己言及的な仕組みは設えられた。この点にリストの目指した新しいソナタの姿が、ありありと浮かび上がっている。

文:澤谷夏樹