曲目解説【6/4 小嶋早恵ピアノ・リサイタル】 第23回別府アルゲリッチ音楽祭

L.v. ベートーヴェン:創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 作品34

 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)は、鍵盤楽器のための変奏曲を22曲、残している。創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 作品34は、その頂点をなす作品のひとつである。作曲は1802年。同年秋に出版社に向けて、ヘ長調変奏曲を売り込む手紙を書いている。それが功を奏してか翌年、出版とあいなった。
 作品は、主題、6つの変奏と結尾部からなる。曲中に見るベートーヴェンの工夫には興味深いものが多い。第1に主題がアダージョで、変奏曲のテーマとしては珍しい速度設定であること。ゆったりとした歩みのため、いざ変奏に進んだとき、非常に細かい音符(64分音符)での装飾的な動きが可能になる。
 第2に調の構成。主題のヘ長調に始まり、ニ長調、変ロ長調、ト長調、変ホ長調、ハ短調を経てヘ長調に戻る。3度ずつ下がっていき、最後に主調に還る構成だ。第3に拍子やテンポの多様性。遅い2拍子で始まり、快速の6拍子、速い4拍子、メヌエット風の3拍子、マーチ風の2拍子、速い6拍子、遅い2拍子と大胆に変化する。
 調の構成と拍子・速度の多様性とに鑑みるに、ベートーヴェンはひとつの主題の持つ多様な性格をしっかりと炙り出し、それを聴き手になんとかして伝えようと考えていたことが分かる。

M. ラヴェル:〈夜のガスパール〉

 アロイジウス・ベルトランは1830年、散文詩集『夜のガスパール』を脱稿した。生前、この作品集は評価されなかったが、死後の1842年、友人らの努力によって刊行され、詩人の再評価の契機となった。
 モーリス・ラヴェル(1875〜1937)は1908年、この詩集から「オンディーヌ(水の精)」(本篇所収)、「絞首台」(断篇所収)、「スカルボ(ずる賢い小人)」(断篇所収)の3篇を抜き出し、それぞれを着想の源とするピアノ曲を書き上げる。作曲家は1909年の初版楽譜に、3篇の詞章を掲載し、音楽がそれらの詩を創造的に解釈していることを強調した。各詩の内容は次の通り。
 「オンディーヌ」:水の精であるオンディーヌが、人間の男に指輪を差し出し「水中の宮殿で湖の王になるように」語りかける。男はそれに対して「やがて死ぬ運命にある人間の女を好む」と答える。オンディーヌは涙を流しながら水中に帰っていく。
 「絞首台」:死刑囚の亡骸のそばにうごめくものはなにか。さまざまな虫か。遠くから鐘を打つ音が聞こえる。夕日の中で亡骸がゆらりと揺れた。
 「スカルボ」:何度もスカルボを目撃した。月の輝く夜、ベッドや天井にいるのを。見失ったと思ったら突然あらわれ、目の前に立ち塞がる。しかし、すぐに真っ青になり、動かなくなってしまった。

F. ショパン
バラード 第4番 ヘ短調 作品52        
スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39 
スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54 
ボレロ ハ長調 作品19
バラード 第3番 変イ長調 作品47

 フレデリック・ショパン(1810〜1849)は19世紀前半、鍵盤音楽の分野ですこぶる個性的な創作活動を展開した。ソナタや協奏曲といった、旧来のジャンルの大作も有名だが、この作曲家の“主戦場”はむしろ、単一楽章の独奏曲だった。プログラムに並ぶ「バラード」や「スケルツォ」といった作品名は、その独奏曲の世界の屋台骨を構成する、大切なタイトルだ。

 さまざまな舞曲をピアノ作品に昇華してきたショパンだが、「ボレロ」と名のつく曲は作品19の1曲だけ。「ボレロ」とはスペイン由来の3拍子の舞曲である。ショパンはこの曲を書いた1833年の段階では、スペインに滞在したことはなく、当時のパリでの流行、とくにオベールのオペラ内の1曲に触発されて、ボレロ ハ長調 作品19を作曲したようだ。
 冒頭、オクターヴでト音を3度、鳴らしたのち、三連符のすばやい走句が続く。ワルツに入り、徐々にスペイン風の色を濃くしたところでアクセルを踏み、主部に入る。ここでのボレロのリズムは、ショパンお得意のポロネーズによく似ている。右手に盛んに現れる短長の付点音型により、スペインの血が音楽に通う。いくぶん叙情的な中間部はさかんに調を変えながら進む。主部に回帰したあと、決然とボレロのリズムを打ち、分散和音で一気に前進して、改めてボレロのリズムで曲を締める。

 「スケルツォ」はイタリア語で「冗談」を意味する。音楽の世界でははじめに声楽曲のタイトルとして使われ始め、それが器楽曲にも及んだ。ベートーヴェンが交響曲の中で、メヌエットに代えてスケルツォを置いたことで、シンフォニーに代表される多楽章作品のの楽章の一類型として定着する。
 それを独立した器楽曲の世界に引き戻したのが、ショパンだ。とはいえ、この作曲家のスケルツォでは本来の性格、つまり諧謔的で軽いタッチのキャラクターは影を潜めている。ショパンはこのジャンルの特徴を、即興的な楽想の中に現れるさまざまな情緒の移り変わりと捉えた。その結果、どこか不穏な空気さえ漂う楽想を持たせることになる。
 1839年のスケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39も、冒頭から不気味な雰囲気を漂わせる。序奏は4分の3拍子でありながら、1小節に4分音符が4つ並ぶ異例の符割り。地に足のつかないような楽想は、調がなかなか定まらないからだ。オクターヴの下行音型が登場したところから主部に入る。その後、コラール風の楽句とレース編みのような装飾的音型との組み合わせが続く。オクターヴの下行音型とコラール+レース編みとを回想したのち、「コン・フオーコ(炎の激しさで)」の結尾部で一気に曲を閉じる。

 一方、1842年から43年にかけて取り組んだスケルツォ 第4番 ホ長調 作品54は、ショパンの4つのスケルツォの内、唯一の長調で、一見、不穏さは後退したかのように思える。実際は、さまざまな情緒の移り変わりが唐突で、その明るさの中に潜む気まぐれさには、やはり不気味さを感じなくもない。
 冒頭は和音を大づかみにして奏でる主題。そこに駆け足で上り下りする8分音符の楽句が続く。やがて音楽の息が短くなり、途切れ途切れの歩みに。壁にぶち当たったあと、息の長い旋律の主題が登場する。ただ、気分は揺れ動く。同じ旋律ながら調が移り変わってゆくのだ。しばらくすると、長いトリルに導かれるようにして大づかみの和音の主題が帰ってくる。静けさの中から湧き上がる楽想がそのまま結尾部につながり、最初の主題を回想しつつ、情熱的に下行音型を繰り返し、2小節にわたるグリッサンドと力強い和音とで、華々しく曲を終える。
 
 「ボレロ」はスペイン風のリズムの点で、「スケルツォ」は諧謔味のあるキャラクターの点でタイトルとしては分かりやすいものだったが、詩の形式に由来する「バラード」なる表題は、どこか掴みどころのなさを感じさせる。
 そもそも「バラード」という言葉をピアノ独奏曲に使い始めたのは、ショパンだ。1835年ごろに書き上げたバラード第1番 ト短調 作品23がその嚆矢。作曲家は、同郷の詩人アダム・ミツキェヴィチの作品に触発されて、ト短調の独奏曲を書き、それをバラードと名付けたとされる。
 作品23、ひいては4曲のバラードはいずれも、起伏のある、どこか物語性を感じさせる展開をする。ソナタ形式のような型通りの進行でなく、様々な楽想がつながりを持って並列する形を取る。つまるところショパンは、この「バラード」というタイトルで、“抽象的な物語世界”を表現したかったのかもしれない。加えて、4曲はすべて複合拍子(4分の6拍子または8分の6拍子)で、情緒の推移に合わせて拍節感を変化させるのに向いている。
 バラード第3番 変イ長調 作品47(1841年)もまた、ミツキェヴィチの作品「シフィテシ湖の妖精」(いわゆる「オンディーヌ」)にインスピレーションを得て作曲されたとされる。この第3番は主題を3つ持つ。全体は「第1主題部 – 第2主題部 – 第3主題部 – 第2主題部 – 第1主題部」とシンメトリカルな構造をしている。
 第1主題部はまず、ゆったりとした旋律で上声部が“語りかけ”、それに下声部が“応える”。その後、両者の短い呼応が続き、一時、反目するも、もとの対話姿勢に戻る。第2主題部は、ひと足跳びに下行するシンコペーションの音型が特徴的。第3主題部に入ると、駆け上がっては滑り降りるメロディーで曲は前に進んでいく。その後、第2主題部、第1主題部を回想して結尾部に入り、作品の幕を下ろす。

 1842年から43年にかけて作曲されたバラード 第4番 ヘ短調 作品52は、ショパンの作品の中でもとりわけ評価の高い1曲である。恩師ジヴニーや親友マトゥシンスキを亡くし、落ち込んでいた作曲家の心情を反映するとされる。
 冒頭、静かに序奏が始まる。昔日の温かな思い出をゆっくりと回想するような楽想。
続いて第1主題に入るが、それは悲しみあふれる現実世界を表すかのように響く。主題はじょじょに装飾的に変奏されていく。悲しみの質に変化が起きているのかもしれない。コラール風の伸びやかな旋律が流れ出したら、そこからが第2主題。まもなく、厚みを加えた上で第1主題を回想し、気分を高めていく。第2主題のコラールに改めて触れ、序奏の温かみを思い出した後、“悲しい現実”(第1主題)に戻る。コラールが再び響き、楽想は盛り上がるが、いったん静まる。そこからコーダに入っていき、切迫して終わる。

文:澤谷夏樹