【日時】 2021年6月5日(土) 開場14:30 開演15:00 終演17:00(予定)
【会場】 別府市 /しいきアルゲリッチハウス・サロン
【出演】 山縣美季(ピアノ)



F. シューベルト(1797-1828)
ピアノ・ソナタ 第13番 イ長調 op.120 D664

F. Schubert
Piano Sonata No.13 in A major op.120 D664

シューベルトは1815年、ピアノ・ソナタの第1作を書き上げた。18歳になったばかりのころだ。作曲家はこの年、歌曲創作の爆発期を迎えていた。この時期を通してシューベルトは、リートの伴奏ピアノ・パートを書くことに精通していく。表現力を増した伴奏パートはやがて独立し、ピアノ・ソナタとして独自の世界を切り開いた。
第13番イ長調D664は1819年か25年、いずれかの年の作品。シューベルトのピアノ・ソナタの創作期は、大きく2つに分けることができる。作曲年が19年であれば、第13番は前期の最後を飾る1曲、25年であれば、後期半ばの作品ということになる。
第1楽章、冒頭のテーマが凝っている。「ミファソファミ」(階名、以下同様)と山なりになるメロディーに、付点リズムのひねりでアクセントをつけると急転直下、大きく「ソ」に音を下げる。そこから「ソラシドレミファソ」と上昇、例によって付点のツイストを交えながら、最後は元の「ミ」に落ち着く。メリハリの利いた素材使いにシューベルトの個性がにじむ。第2楽章では一瞬、ロ短調と思わせておいて、すぐにニ長調へいく趣向が心憎い。音階の上下という単純な材料で、対比を作る第3楽章も面白い。



F. シューベルト(1797-1828)/ S. ラフマニノフ(1873-1943)
《美しき水車小屋の娘》より〈どこへ〉ト長調

F. Schubert/S. Rachmaninov
"Wohin?" in G major from "Die schöne Müllerin"

シューベルトの歌曲をヨーロッパ中に広めるのに一役買ったのは、フランツ・リストによるピアノ編曲とその演奏だった。それは、歌唱部分と伴奏部分とをピアノ1台で弾けるようにする「トランスクリプション」で、いわば“詩のない歌曲”だ。
ラフマニノフのシューベルト編曲も、同じ路線の上にある。題材は歌曲集《美しき水車小屋の娘》の第2曲〈どこへ〉。曲集の作曲は1823年の5月から11月にかけて。作曲家はミュラーの詩集から5部分を割愛して、全20編に曲をつけた。
編曲は1925年。ロシアを離れたラフマニノフが、アメリカとヨーロッパとで盛んに演奏活動をしていた時期の仕事だ。つまり、演奏会で弾くレパートリーのひとつとして、自ら編曲の筆を取ったのだろう。
元の詩はおおむね次のような内容を持つ。
僕は小川のせせらぎを聞いた。小川は岩間から出て、谷をさらさらと流れる。杖を手に下っていくと、水はますます澄んでくる。これが僕の進むべき道なのか。小川よ、どこへいくか言ってごらん。僕は君のせせらぎに心を奪われた。いや、これは川の流れの音ではない。水の精の歌声だ。彼らの歌に耳を傾け、追いかけよう、友よ。澄んだ小川の先には必ず水車が回っている。



S. ラフマニノフ(1873-1943)
コレッリの主題による変奏曲 ニ短調 op.42

S. Rachmaninov
Variations on a Theme of Corelli in d minor op.42

ロシアの国内情勢に暗雲が立ち込めていた1917年、ラフマニノフは故国を離れ、北欧に居を移した。経済的な安定を得るには、演奏家として活動するほかない。音楽家はアメリカをもっとも収入の条件の良い国として見定め、そこへの移住を試みる。
ラフマニノフがニューヨークの地に降り立ったのは、1918年11月。それから米欧を往復しつつ、ピアノ奏者として活躍する。その活躍の度がすぎて作曲の筆が進まない。そんな状況にあった31年、渡米後最初にして最後のピアノ独奏曲を書く。それがコレッリの主題による変奏曲だ。
この変奏曲の主題は、コレッリの「ヴァイオリン・ソナタ集」op.5(1700年)の第12番《ラ・フォリア》を引用したもの。《ラ・フォリア》はイベリア半島を起源とする舞曲。変奏曲化してヨーロッパ中で流行した。したがって、これを「コレッリの主題」とするのは誤りで、本来は「《ラ・フォリア》の主題」と言うべきだ。
作品は「主題・13の変奏曲・間奏曲・7つの変奏曲・コーダ」の構成をとる。原曲は本来、定まったハーモニーとリズムを持つが、ラフマニノフは半音階的な和声と、切れ味の良いリズムとで作品を編み直した。



F. ショパン(1810-49)
ポロネーズ 第7番 変イ長調《幻想ポロネーズ》op.61
ノクターン 第18番 ホ長調 op.62-2
ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58

F. Chopin
Polonaise No.7 in A-flat major "Polonaise-Fantaisie" op.61
Nocturne No.18 in E major op.62-2
Piano Sonata No.3 in b minor op.58

1840年代の半ばから、ショパンの人生は悲劇的な色合いを強めていく。1844年5月、父を亡くした。ただ、7月に姉と14年ぶりの再会を果たしたことで、少し心の平静を取り戻す。愛人ジョルジュ・サンドとのすれ違いも大きくなった。都会生活を志向するショパンに対してサンドは、田舎でのびのび暮らしたい。サンドはそこに、単なる好みを超えて人間性の根本的な違いを嗅ぎ取っていた。
ショパンはこの時期、体調が思わしくないことをサンドへの手紙にしたためている。「重いフロックコートを着て暖炉の前にずっといた。フランネルの下着を3枚も重ね着しているのに、顔色は冴えない。ベッドに入っても寝付けない」。
ショパンは家族・愛人・健康を、徐々に失いつつあった。人生に“弱み”が押し寄せる中、作品はむしろ力強さを増していく。1844年のピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58は、そんな力強さを象徴する1曲だ。
第1楽章、冒頭の第1主題から水際立っている。突如、階段を転げ落ち、その衝撃が厚みを増していくような運び。16分音符から2分音符、順次進行から完全4度跳躍、単旋律から8声部和音までを駆使して、この“衝撃の広がり”をわずかな小節で表現する。柔和な第2主題との対比もくっきり。その両者がコーダでは「力強く柔和な楽想」として融合する。音楽の途中を切り出してきたかのように始まる第2楽章、船を漕ぐような左手が印象的な第3楽章を経て、ロンドの第4楽章にいたる。ここでは舞曲ジーグ風の楽想が絶え間なく続いていく。

1846年、ショパンとサンドの関係に決定的な亀裂が入る。サンドの子供たちとショパンとの仲を、サンド自身が懐疑的な目で見るようになっていた。
まずは長男モーリスとショパン。両者は反目していた。サンドはモーリスを溺愛している。だから、モーリスのショパンに対する非礼を咎めたりしない。次にその妹ソランジュとショパン。サンドはソランジュにつらく当たった。ショパンはそれを不憫に思った。サンドはショパンのソランジュへの思いやりを、家庭内干渉だと感じ機嫌を損ねる。
別れの予兆。人生の秋を、目前に迫る冬を、ショパンは感じていたかもしれない。多くの作曲家はこの「白秋」の時期から、晩年様式へと歩みを進める。“ピアノの詩人”も同様だ。その晩年様式の現れといえるのが、《幻想ポロネーズ》op.61と2つのノクターン op.62である。
ポロネーズ第7番 変イ長調 op.61は、作曲家が7歳のころから書き続けてきた勇壮なポロネーズ群とは、一線を画する。序奏の転調はきわめて自由。あちらこちらと気分が揺れ動いていく。その揺れる気分の中からやがて、ポロネーズのリズムが聴こえてくる。いずれの手にも半音階をあてがう。そのせいで緊張感の輪郭が煮崩れていく。移り気は移り気だが、どこか哲学的な思考実験を思わせるこの情緒変化こそ、ショパンの晩年様式と言ってよい。
ノクターン第18番 ホ長調 op.62-2の冒頭の主題にはひねりがある。第1音と第2音の距離は長6度、第2音からその小節の最高音まで駆け上がるその上り坂は短6度。6度は優美さや甘美さを示すと同時に、“憧れ”など上向きの眼差しを感じさせる音程だ。この主題の繰り返しと、最終的な再現が、どこか焦点の定まらない気まぐれさに、足場なり手すりなりを提供する。逆の見方をすれば、固い土台からいかにして気持ちを自由にしていくか、という挑戦にも見えてくる。この相剋に、生前最後のノクターンに相応しい横顔が見え隠れしている。

解説:澤谷夏樹

※曲目、演奏順、演奏者等は変更になる可能性がございますのでご了承ください。



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