先日は、コロナ禍が続く中でアルゲリッチハウスでのレクチャーコンサートへのご来場をありがとうございました。
全ての皆さまにはマスクを着用していただき、様々なご協力をいただき、心から御礼申し上げます。

レクチャーコンサートはクラシック音楽をより楽しんでいただけるよう、さまざまな視点から作曲家の人生と共にその楽曲に込めた思いを、演奏と共にお届けをしています。

今回のテーマは「音楽が語り始める時」
演奏楽曲はベートーベン、シューマン、ショパンの作品。
前半はシューマンがクララとの恋愛から結婚への道程の中で、最も苦しんだ時代に書かれた幻想曲、子供の情景、アラベスクを選曲しました。
特に幻想曲はよく解説されるように、クララ、クララ、と思い続けるシューマンの激情と哀しみが伝わってきます。そこには美しい旋律に秘められた深い苦悩や哀しみがあります。
後半にはベートーベンが恋愛において失意の中で書いた月光の後のソナタ田園、そしてショパンのソナタの2番。

私には月光の第一楽章はベートーベンが自分に向けた葬送の音楽に思えてならないのです。
そしてまたショパンも同じように自身の体調への不安、死への恐怖を抱える中で、狂気すら感じられるこのソナタに張り裂けそうな思いを込めた。
そう感じられるのです。

幼い時の一時期、私の中で怖さもあるのだけれど、ものすごくワクワク、ドキドキとしながら聴いていたのがベルリオーズの幻想交響曲でした。
そしてこのショパンのソナタを初めて弾いた時に、どこかで聴いたことがあるように思ったのです。
多くのショパンの評伝を読むことが出来ますが、その一部を私もショパンを知るために読みました。その限りでは、ベルリオーズとの交流があったこと、音楽的な影響に言及するも二人の共感や共通点については対照的な方向性を持ち、ショパンの共感が薄かったことが書かれていました。
確かに目指す音楽や性格が違います。

しかし私にはあの時代に、ベルリオーズの幻想交響曲を聴いた人たちの好き嫌いは別として、心底驚いたと思うのです。
シューマンも長い評論をして、ドイツでこの交響曲を紹介しています。

あくまでも私見ではありますが、オーケストラ単独の作品を書いていなかったショパンは、どこかでベルリオーズの大胆な試みに、意識してなのか、無意識に、なのかはわかりませんが、刺激を受けたのではないでしょうか。そしてこの作品にそのことが反映されていると思いました。
特にベルリオーズの4楽章や5楽章のティンパニーや管楽器の響き、それはソナタ全体に垣間見えます。
ユニゾンで演奏する不気味な第4楽章も狂気の中に潜む、恐怖の心理描写のようでもあります。
演奏を重ねる中で、常に発見はあるのだと思いました。
そして、各々の音楽家が新しい発見をしながら、これまでも、またこれからも素晴らしい人類の宝物である作品を後世に繋いでいくのでしょう。
2019-20室内楽シリーズ 「Vol.14 伊藤京子ピアノ・レクチャーコンサート」
公演ページは → こちら

2020年10月8日

公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団副理事長
別府アルゲリッチ音楽祭総合プロデューサー
伊藤京子




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